紀伊半島の環境保と地域持続性ネットワーク 紀伊・環境保全&持続性研究所
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  論文の紹介                              

 金子美登 (2012) 食・エネルギー自給・循環型の地域づくり 
             〜埼玉県小川町下里有機モデル〜

                 用水と廃水 54: 551-556.

 著者の金子美登さんについては、以前、本ホームページで「カリスマ有機農家の一事例」として紹介したが、1970年代から有機農業に先駆的に取り組まれ、今日に至るまで有機農業の発展から、そのための人材育成に至るまで幅広く活躍・貢献されてきた。有機農業に長年にわたり取り組まれている一貫性と継続性に頭が下がる思いがする。

 本論文のはじめに、著者の農業観が語られ、「一国を大きな木に例えると、地上部の枝葉に相当するのが工業・都市であり、根に相当するのが農業・農村である。先進国とよばれる国は根に相当する農業・農村をどの国も大事にしている。いざ大災害や国家間の非常事態が起ころうとも、盤石な生存基盤を確保している。それに対し、日本の状況は『切り花国家』と言えよう。」と、国のあり方を批判している。本論文では、筆者が取り組んできた食料とエネルギーの自給、これらを基礎とする循環型地域作りについて述べられている。

 論文の記述から、やや不正確なところもあると思うが、その歩みを年表にまとめてみた。

<有機農業関係>
1971年 日本に「有機農業」という言葉が誕生。
1975年 自家の2haの田畑で有機農業を始め、消費者10軒と提携。
1981年 消費者30軒と提携でき、有機農業でやっていく自信ができる。
1988年 有機栽培米で仕込んだ「おがわの自然酒」が誕生。有機栽培小麦による乾しうどん「石
     臼挽き地粉めん」が誕生。

1993年 大冷害で米が3割減収したが、小麦、ジャガイモ、サツマイモの収穫でしのぐ。
1994年 有機栽培の小麦と大豆を使った3年醸造の純生醤油「夢の山里」が誕生。
2009年 地元の集落全体が有機農業に転換。


<エネルギー自給、循環型地域作り関係>
1994年 自家用バイオガス施設を設置。
1996年 廃食用油を精製してディーゼル代替燃料として使用開始。
2004年 地元のスギ材で木造骨格のガラス温室を建築。
2006年 地元木材で母屋を建築。地元木材を使うウッドボイラーによる給湯と床暖房システムの
     住宅とする。太陽光発電と蓄電装置を設置し利用。
        SVO(Straight Vegetable Oil:植物油をそのまま使用する)に出会い、これに転換していく

 金子さんは、有機農業を営み、消費者との提携により生活の基盤を築くとともに、有機農業を展開する上での様々な技術的問題を克服してきた。更には、金子さんの有機農産物を使って、地域の食品加工会社が新たな商品を開発するという協力関係ができたことが、大きな力となっていることが分かる。最近は地場産の農作物を使った「農商工連携」の取り組みが国や地方自治体から推奨され、成功事例も多くなってきているが、金子さんは随分前から有機農産物という特色を生かして、地域の食品加工会社と協力して地域興しにつながる、お酒、うどん、醤油を作るなど、先駆的な活動を進めてきた。また、最近、地元の集落全体が有機農業に転換したが、このようなことも、恐らく、日本で初めてのことではないかと思われる。

 『切り花国家』としての日本は、非常事態に直面した時に、食料自給率が低く、農業自体が輸入化石燃料漬けとなっていて、たいへん脆弱な体質となっている。金子さんは、このことを問題視して、自らの足下から永続的で循環可能な農業を構築する試みを始めている。そして、このモデルは日本のみならず、世界の食糧・環境問題等の解決の一助になるという信念のもとに、将来を見据えて再生エネルギーと循環型地域の形成に熱意を燃やして取り組んでいる。

 最初に触れたように、金子さんについては、NHKのテレビ放送で「有機農業のカリスマ」として私の脳裏に強く印象付けられていたが、この論文では、有機農産物の生産だけでなく、エネルギー問題や、循環型地域社会形成の重要性などにも触れられていて、日本や世界の将来を考えて、実際に現場で取り組み、広い視野を持ち、いろいろな意味で先駆者の1人であると思う。


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